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こちら情報局


「本音のコラム」
『東京新聞』
99年4月9日付
こちら情報局

沖縄活性化委員会

 でかした、でかした、沖縄の優勝だ。昭和33年来、実に41年ぶりだというのだから、筆者の紆余曲折の人生と同じ時間だけ、優勝旗が海を渡るのに要したわけだ。

 優勝直後、応援のため甲子園に駆けつけていたミュージシャンの喜納昌吉さんは、『これで沖縄が変わる』と語ったが、確かに何かが沖縄の県民の心に刻み込まれたはずだ。

 ここで少し筆者と沖縄の関係を話したい。実は筆者が日本に来た昭和39年当時はプロペラからジェット機に移行したばかりの頃であり、復帰前の沖縄に着陸し、給油をした上で東京の羽田空港に降り立ったのである。

 そんな縁からか、沖縄には並々ならぬ関心を抱いている。ここ数年、シンクタンク研究員の立場から、事ある毎にアジア政策や国際都市形成で論文を発表している。

 今年の二月からは、二十一世紀を目前に、沖縄の時間的猶予は残りわずかと「沖縄活性化委員会(http://bar.cplaza.ne.jp/)」なるバーチャル・シンクタンクを設立し、委員長として、沖縄に様々な提言を行っているところである。

 「観光立県」と「金融センター構想」を軸に、様々な問題提起を実施。両論併記の形で、県民の意見を集約する「場」を形成しつつある。そんな折もおり、悲願である優勝旗が沖縄に渡る。勇気百倍とはこのことであろう。

 筆者はとっさに七十年代前半の台湾を思い出した。国連を追放され、日本と断交し、米国が中国を承認するなか、台湾の誇りはリトルリーグで世界制覇を成し遂げた野球少年達であった。

 数年続くこの偉業に多くの台湾人と海外在住の華僑が勇気と希望を与えられ、その後の電子立国を可能にしたと信じる。

 沖縄活性化の瞬間を目撃したような興奮から未だ醒めやらぬ。