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こちら情報局


「本音のコラム」
『東京新聞』
99年2月19日付
こちら情報局

知事の資質

 相も変わらず、知事候補を巡る動きが慌ただしい。こんな時、情報公開のありがたさを痛感するものだ。テレビを通して候補者の動揺が映し出され、或いは当事者の大人としての風格が、私達の今後の候補者選びの大事な参考となる。

 誤解されては困るのだが、狼狽しているのが悪いわけでなく、沈着冷静だからと資質が上というわけでもない。戦うポジションとでも言うのだろうか、登用される側と降格される側、築く側と壊す側があるため、どちらが良いとは一概には言えない場合があるのだ。

 先週末の民放で、立候補を表明する方向で○意を翻した柿澤弘治自民党代議士の場合は、降格される側にあり、壊す側にある。

 「都民の誇り」の再生を目指し、立候補を表明する方向で決意を固めた柿澤氏だが、番組はタイミング良く生放送で自民党の各幹部を中継で繋ぎ、柿澤氏の真意を確かめさせている。

 直前に堅い決意を示したはずの柿澤氏と言えば、当事者達からつつかれ、困惑の表情を見せながら、それでも「やるっきゃない」と腹をくくった。

 この様子、必ずしも都民のリーダーとしてかっこよかった訳ではないが、本人の心の迷いも含めて有権者には、「人間的」と映ったはずだ。

 都民は各党が推薦しようがしまいが、今度は排水の陣で望む、実力、やる気ともにベストの候補者に一票を投じることになる。候補者には、庶民感覚でいう所の自然体で望んで欲しいのだ。そのためには、決心するまでに多少の迷いがあっても良い。それだけ失うものとの天秤に悩んでくれた方が将来の仕事ぶりに期待でき、有り難い。お手盛りで据えられ、呼ばれたから来たんだでは責任が曖昧になる。気楽な家業ではつとまらないことも前任者で経験したからだ。