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こちら情報局


「本音のコラム」
『東京新聞』
98年10月9日付
こちら情報局

不惑の四十

 自分で言うのもおかしいが、かなりの童顔である。童顔で得したことはそれほど無く、ことビジネスになると苦労が先行する。

 本業のシンクタンクでは、アジア情勢分析を主業務の一つとしている関係上、地方での講演を依頼されるケースがあるのだが、今でも講演を開始する前は針のむしろ状況となる。お顔を拝見すればかなりのご年輩の皆さんから『こんな大学出たての兄ちゃんで大丈夫なのか』『事務局の人選ミスではないのか』などの呟きが聞こえてきそうな気配が漂う。

 そんな講演会場の空気を察して、冒頭の掴みの部分では、初来日はプロペラ機からジェット機への移行期で、沖縄に立ち寄り給油してから羽田に降り立ったことなど、個人のバックグランドを紹介させて頂き、中年に差し掛かっていることを暗黙裏に伝えたりしている。

 そう。私ごとで恐縮だが、あと三日もすると四十の大台に乗ることになる。最近は、おおよそ見た目よりも七〜八才若く見られる程度のギャップで推移しており、人様から信頼を得られるには、もう少しの辛抱だと自分に言い聞かせる毎日である。

 そういえば、ちょうど十年前、二十代から三十代への変わり際には、友人らに大したことはないと強がりな一面を見せ、終電がなくなるまで深酒をして誕生日を祝ってもらったりしたのだが、日付が変わる頃、なんとも言えない強烈な不安感に襲われたりしたものだ。

 ところで、冒頭の言葉を私なりに解釈すると、可能性のあるものには、三十代までに全ての機会を捉えて首を突っ込み、四十代では進むべき道を迷わず進みなさいというところか。

 親しくさせて頂いている評論家の大宅映子さんは、そんな私を「何事にも貪欲な人」と第三者に紹介する。