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こちら情報局


「言いたい放談」
『東京新聞』
05年01月14日付
こちら情報局

テレビの社会的責任

  テレビ各局の不祥事が後を絶たない。マスコミに限らず、企業不祥事が頻発するからか、国内でも企業の社会的責任を求める傾向が強い。一般にCSR(CorporateSocialResponsibility)と呼ばれる。
 
  企業のリスクマネジメントを専門とする筆者は、91年にCSRに関する論文を書いている。当時は見向きもされず、今こうして問合せが急増すると、十数年早かったのかなと複雑な心境ではある。
 
  但し、頻発する企業不祥事を見るにつけ、今からでも、やった方が良いだろうとは思うし、やるからにはそれ相応の覚悟を持って欲しい。
 
  というのも、そもそも企業としてどうあるべきか、企業ビジョンを明確にする必要があるからだ。
 
  企業が存在する理由として、商品サービスを通し顧客に幸せを与え、多くの社員に給与を支払い、税金を国や地域に納めると胸を張る。しかし一方で、存在するがゆえの負荷、マイナス要因を見極めたい。
 
  例えば、不祥事について、一部の社員が引き起こしたことだと経営サイドは説明するかもしれないが、無理してでもノルマを達成しなければという脅迫概念に、社員が追いつめられた結果という可能性もあろう。
 
  つまりは、多くの場合、CSRは企業体質そのものに立ち返り、自らを律する厳しい態度で臨むことが必要となる。極論すれば、CSR宣言した会社のパフォーマンスは、一時的に下がらないとおかしいし、下がってから上がる企業が本物となる。
 
  これはテレビ業界にも言えることだ。自らの倫理観を検証するための番組は週末の早朝に追いやられ、内容が伴っていない。形ばかり整えられ、それぞれ言い訳がましい。
 
  唯一納得したのは、「週刊フジテレビ批評」に登場した倉本聰さん。
 
  テレビの責任は?と問われ、「命をかけていない」。一呼吸置いて、「馬鹿馬鹿しいものに命をかけている」。テレビ局に望むことは、「ガキの玩具に成り下がっている」「大人の観賞に耐えうるもの、眠っていた大人を揺れ覚ますものを」と答えた。CSR実現の一つの姿である。